通信制苦学記録

大学通信教育課程の史学科でアタフタしてました

第8回ゼミ

なんだかんだで研究の方向性って変わってきちゃいますね。

手芸からジェンダーへ、科学・医学にアートが入り込む、そして民衆史的なものから旧藩や旧幕臣への注目。

月一とはいえ伴走者がいるのと、法政通教のトータル3回の指導(うち1回が対面指導)でそれ以外はひとりと比べると、充実度がやっぱり違うなあと感じます。もっとも、授業のコマ数や、指導する院生・学生の数が段違いだから仕方がないのだろうけと。

それはともかく、今後のスケジュールが判明しまして、修士ゼミは2年の11月までのようです。12月修論提出なんだから、そりゃそうか。つーか、あと1年か。

そして、研究レポート2の話も。と言っても、1と同様になりそうな感じ。それを見越して年末にさっさと書いてしまいましょうかね。

また修士論文の審査会ですが、我がゼミは非公開とのこと。来年度の参考にしたかったのだけど、残念。となると、いつメン+副査という感じになるのでしょうか。

ところで、今回の先生からのコメントで、「それは(タイムスパンを長く取るなりすれば)修士後のテーマとなり得るのではないか」というものがありました。それは私自身も調べている時にそう感じていたものではあるのですが、修士課程への進学は「怠惰の極みな人間性だから野良で研究はできない(できなかった)」という理由もあるので、もしやるとすれば外部でのD進になってしまうか。まあ、それは現実的ではないので、修了後ちゃんと野良でやって行く環境を作らないと……。

最速で次回の報告で1章分完結しそうなのですけど、それ以降のネタの仕込みがぜーんぜん。卒論でやっている範囲はまあ書けるだろうし、それを開陳しつつ裏で仕込み、というのが最善かも知れませんが、そちらをどうするかも考えつつの師走になりそうです。

第7回ゼミ

「この史料からはこういうことが引き出せるのではないか」という前提で研究計画を立てる訳ですが、実際読み進めて行くうちに思わぬ方向へと転がってしまいがち。

学部の卒業論文はほぼ最後の方でそれが起こってしまってグダグダになってしまったけれども、修論では今起こってしまってよかったね、って感じ。

マスメディアに関する研究は、「この時期をやる」と決めるとその時期しか読まない、ということが起きがちに見えますけれども、社長やら編集者などに言及する場合はずーっと後年のものも読んどいたほうがよろしいでっせ。特に社員録(年賀の挨拶という形をとることがある)みたいなのがある場合は、それが超重要情報だし、「いなくなったぞ」となったらそれ以前の号を読み漁るといい情報(って訃報と略伝を果たしてそう言っていいのかは倫理的に問題だけれども)にぶつかる可能性があります。

第5回ゼミ

学部で史学科&卒論書いたというアドバンテージはあるけど、それだけかもなあ、と思ってしまったりした。

研究レポート1は、どうやら事務のチェックを経てから教員に行くようで、要するに教員の手には渡っていとのこと。なので、次回のゼミにて講評を述べるようです。しかし、教務チェックで弾かれたりすんのかな。不安。

2022年度第1学期成績公表(22.8.22追記)

昨日1学期の成績が公表されました。

受講したのはアカデミック・スキルズ('20)のみ。無事単位修得できてました……と言っても本来なら取る必要がない単位でしたがね。ただ、課題が非常に勉強にはなった。あたしゃまだまだ日本近代史を知らないね。

ところで、残りは研究指導な訳ですが、研究レポートの受付もWAKABAの履修成績内で参照できればなあ、と思ったり。法政通教の卒論1次〜3次指導がそうだったように。

(22.8.22追記)学生カルテの「履修情報」で確認できました(研究倫理の方も)。奥が深いぞシステムWAKABA!

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さて、放送大学での科目履修はこれで最後となります。上記科目を記事化したら、あとはひたすらゼミ時々研究レポートみたいな感じになりますが、修了(もしくは挫折)までお付き合いいただければと思います。

研究レポート1提出

提出しないと留年確定な研究レポートの1つ目を提出できました。

昨年までは学務課まで郵送して提出だったようですが、今年度からはオンライン提出となりました。送付先の誤りが無くなったり(これが大変多かったらしい)、郵便料金を払う必要がなかったり、なによりも期限ギリギリまで提出できるので、とても助かる。修論も是非そうして欲しいけど、どうなるのだろうかね。

ところでレポート課題ですが、第4回までの報告から、「みなさんの今までの報告がうまいこと1節としてまとめられそうだから、修士論文の一節として書いてみて」となりました。

あっさり行くと思いきや、第4回の報告や、そのベースとなった卒論で唱えた自説への疑問が、それこそ卒論の頃からありまして、それを批判するために改めて史料を読んだ結果、その自説は覆され、研究レポート1では「この前と全然違うやん」な解釈に至りましたとさ。あとは重要な割に説明してなかったことも追加しました。もっとも、研究レポート1での論旨の変更や補足などについては第5回ゼミ報告で説明をしてね、とのことでしたので、問題ナシ、ヨシ!! というか、研究なんてそんなものよね(最終の指導終了後に色々覆した卒論を思い出しながら)。

レポートの分量ですが、先に述べた通り修士論文1節分です。我がゼミは「修士論文100枚」という基準厳守(±5枚までは容認。注や図表、参考文献などは含まず)。それを4章各3節に「はじめに」「おわりに」の全14節で構成する様に、という感じ。なので、1節2900文字くらい。ワープロ使用の場合、1枚800字詰で書くように指示されているから、3ページ半程度。なのでレポートは本文4枚と、図編2枚、表紙、凡例、注、引用史料・参考文献がそれぞれ1枚の計10枚となりました。これは多いのか少ないのか。

しかし、アカデミック・スキルズもあったとはいえ、進捗がゆっくり過ぎる気がしないでもない。論文後半部分の史料は卒論で読んだことがあるからまだいいとして、前半部分がね……。

研究レポート2課題が「一章書いてしまおう」とかになると怖いからさっさとやるべきなんだがなあ……。

第4回ゼミ

第4回では第2回で行った史料・研究対象の解説を、構成変更により本論に組み込むこととなったため、その作業について説明しました。

他のゼミ生も1節書けそうな雰囲気だったため、研究レポート1の課題は「論文の1節を書け」となりました。

翌日母校図書館にて再確認しておきたい箇所の確認とコピーを取って、月曜日にレポートの草稿を作るか、と作業をしていたのですけど……コピーを取った新聞に目を通すと卒論やゼミで発表した史料解釈が実は誤りだったことがわかり、急遽母校図書館に2日連続で調査に赴く羽目に……。次のゼミの発表内容ができてよかったですね(つらい)

3歩進んで4歩下がってる感じですが、なんとかしましょう……。