通信制苦学記録

大学通信教育課程の史学科でアタフタしてました

初心

「みんなTVがお好きなんですね」と思いながらTwitterを眺めていた年始ですけれども、恐らく例の芸人(よく知らないが、嫌でも名前が流れてくる)関連なんでしょう、このようなツイートが流れてきました。

 

 

はい、これですね。

 

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上記のツイートを見て思い出したのは、志望理由書のこと。

 

出願時、史学科は800文字以内の志望理由書が課せられます。私はそれに「独善に陥らないため」と書きました。

歴史というジャンルは、何だか「お手頃」のように思われているのか、様々な人々が手を出して論じ、あるいはそれで商売している人もいます。けれども、そういう人の書いたものの中には、中学生レベルの知識も怪しいものも散見します。けれども、その怪しい知識をベースに論を組み立てて、それでいてそれなりに支持を得て……みたいなサイクルが確立してしまっているケースもあります。

そのような風潮を嫌い、それを「独善」という言葉に込めたのでした。

 

この志望理由書に書いた「独善」という言葉と、大内兵衛が引用した上記の『論語』の一節との偶然の一致に気付くのは、入学後でありました。

何度か書いてたと思いますが、某三田と併願しようとしてまして(結局やめた)、あちらの志望理由書やら「なぜうちなんだ」みたいな項目に、「やっぱり○澤先生の実学の精神がうんたらかんたらと書かなきゃならんのかな?嫌だなー」と思ってたのですけど、そのくせ結果的ではありますが、法政に媚びた志望理由を書いたことになりますwwwいや、媚びたつもりないから!

 

それはともかく、この4年間で「独善に陥らない」ための方法論は得ることはできたのか……。うまくいけば、この春また一介の独学者に戻る訳ですが、その真価が試されるのは、それからなんでしょうね。

 

※追記

「他人の独善ばっか責めとるけど、自分はどうなん?」と思いの方もいそうですけど、当然ながら自分自身に対しても疑いを投げかけた上で、ですよ。

例えば、何度か書いている西洋史概説の話みたいに、ある学説ばかりに気を取られて、スタンダードな歴史的事実の記述を怠った、というのも「独善」の一形態ですし、その反省でシラバスや設題総覧に挙げられている参考文献を特に重視する方針へと転向したのです。

 

もっとも、他人が気付いていて、自分が気付いていない「独善」がいくつもあるかも知れません。なので、この記事(というか志望理由書)はちょっと言い過ぎたかな、と今更思ってしまいました。