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通信制苦学記録

大学通信教育課程の史学科でアタフタしてます

リポート作成時における参考文献について

リポート 雑談 学習記録

日本近代史と経済史Bのリポートについての記事で予告してた「学習方法を変えた」という話。なお、クッソ長いし、それに至るまでの筋が史学科生限定な感じもするので、次の段落と1番最後(これは必ず見て欲しい)だけ読めばいいんじゃないかな。

 

タイトルから察しがついてる方も居られるかも知れませんが、参考文献の扱い方を変えました。一言で表すならば「指示されたものしか読まんぞ」。

 

史学科の学習ガイダンスだとか、スクーリングなどで「論文、研究書を読め」と散々言われてまして、リポート作成の時もそれに従って、OPACを叩いたり、『史学雑誌』5月号「回顧と展望」数年分をサーチして文献探し回ってたわけです。

 

西洋史概説の2設題で、使用しなかったものも含めて20冊くらい(テキスト、シラバス掲載文分む)目を通したのが最高記録だと思うのですが、半年掛かってリポートの最終的な評価は両設題ともC。そこから学習方法に疑問を抱き始めました。

 

そしてこのツイートが決め手となる。

 

 

文献を積み上げても、それらを消化できなければ意味がないし、そもそも使用した文献が適切であったかどうか。

 

西洋史概説の第1回の「叙任権闘争」で言えば、「カノッサ事件」について、「教皇側でなくハインリヒ4世側の勝利であった」という説を唱える本があり、それに依った記述を文字数をかけてしたのですが、講評は「○○については?」すなわち「そんなことよりも書くべきことがある」という指摘でした。要するに文献に振り回されて、本来すべき「叙任権闘争」についてスタンダードな概述を怠ってしまったわけです。

 

そんな訳で、10月提出分リポートから、基本的な作成方針を「テキストとシラバスや設題総覧で挙げられている参考文献のみ使用する」にしました。講義と違い、通信学習だと担当の先生がどのような考えを持っているのかがほとんどわかりません。そこで「テキストが講義」、「参考文献はどのような説を許容しているのかを示すもの」と考え、そしてテキストと数冊の参考文献をしっかりと読み込み、知識の基盤をしっかりと作る、ということにしました(もっとも、方針は方針であって、「南海史」や「日本近世史」のようにシラバス等の参考文献はあくまで学習用であって、リポートの参考文献としては認められないというケースや、「中国思想史」のような設題に即した文献を探さざるを得ないケースならば、当然それに従います)。

 

さて、10月提出分リポート結果ですが、まず経済史BがA+。こちらは概説書のみでなく、研究書も参考文献に含まれていたこともあっての結果かも知れません。続いて日本近代史はA。リポート返却時のエントリーで「この結果は成功」と言ったのは、参考文献が概説書で、かつ講評に「研究書や論文を使えばよりよいものになる」とあったこと、つまりテキストや参考文献レベルの知識をしっかりと付けることができていることを意味している、と受け止めたからです。 

 

以上リポート作成に対する態度の変化についてでした。

 

最後に誤解して欲しくないのは「研究書や論文を読まなくてもいい」訳ではないこと。今だって本を集めたりだとか、業界誌や「回顧と展望」にざっと目を通して、特に面白そうなのをコピー取ったりしてますし、Ciniiで検索掛けてますし。要するにリポートは「地盤を固めるのためのもの」と割り切った上で、「論文・研究書を読む」のは課外での勉強に回したということですね。