通信制苦学記録

大学通信教育課程の史学科でアタフタしてます

重金属のはなし 鉄、水銀、レアメタル[渡邉泉 著・中公新書]

お断り:元々、前blogに2013年2月3日投稿した記事の転載です。また、しばらくの間、前blogからの転載を行います。
 
火照り気味の未来予想を冷ましてくれる1冊

 

 本書は、人間がいかにして重金属を発見、使用してきたか、なぜ生物の体に重金属が含まれているか、などと言った「重金属と生物、そして人間との関係」を記した前半と、水銀やカドミウムヒ素、その他レアメタルなど、「個々の重金属とそれによって引き起こされた日本の公害」の後半とに分けることができる。
 僕は特に後半を読んでいて、まるで氷水を頭からかけられたような気分になった。
 
 重金属による公害は「採掘現場及びその近辺」と「製造及び使用現場」で発生する。重金属の処分や、排水の処理を結果的に誤るケース(水俣病イタイイタイ病、クロム・パニックなど)と、使用者や作業従事者が危険性を知らないまま汚染されるケース(ローマ帝国から現代日本まで続く水道鉛管や土呂久)がある。
 しかし、これらの公害の大半は日本の工業や経済発展に貢献する大企業が引き起こしたためか、企業側が早急に認めるケースは無く、また政府も腰が重い。そして大抵は閉山や需要が無くなってからようやく関連性を認める(見田宗介現代社会の理論ー情報化・消費化社会の現在と未来」も参照)。
 それ以上に恐ろしいのは、公害について世に訴えようとすると、被害者や近隣住民からも猛反発を食らうケースである。先述の通り、大抵が日本の発展に寄与している企業が関連していることもあり、またその企業に雇用されていることもあるのだろう。「お国のために」、「村のために」、「生活のために」表沙汰にして欲しくない。
 日本だけでなく、世界中の資源採掘現場でも似たような事件が発生している。特に発展途上国では発展が重視され、その他は二の次扱いである。超大国アメリカでさえ、シェールガス採掘開始後、飲料水にメタンが混ざり始める、と言う事件が起るが、企業側は関連性を認めていないようなこともある( National Geographic 2012年12月号参照)。
 
 さて、近頃海底資源に熱い視線が注がれている、人の住まない島の取り合いが起るくらいに。その推定埋蔵量から、明治以降常に悩まされ、戦争の原因にもなった「資源」と言う問題を解決することができる。資源国、なんと甘美な響きであろうか。
 しかし、それらは本当に掘り出していいものなのだろうか。我々は資源採掘によって引き起こされている環境汚染や鉱毒から目を背けてはいないだろうか。技術者たちは、それらと正面から科学的に向き合っていると信じたいのだが。
 
※12月7日追記
 いささか陰謀論めいた物言いが我ながら気になるとは言え、考えは今でもそれほど変わらずですね。
 しかし、当初はまったく問題はなかったが、次第に……と言う嫌らしいパターンも存在する。上に挙がった例も結果論なのもありますし。けれども、「進歩には犠牲が伴う」と割り切れるほど僕は強くはない。
 なにはともあれ、難しい問題です。