通信制苦学記録

大学通信教育課程の史学科でアタフタしてます

成績更新(18/1/17)

これが最後の項目登録にしたい。

 

・試験登録

 

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事前指導1〜3の後ろに登録されると思いきや、それらの前という。

 

ところで、1単位って学内での講義などと、学外での自主学習とを合わせて45時間、というのが建前です。卒業論文は8単位ですから、360時間。「んなわけねーだろ!」と執筆経験のある大半の人が思いそうですが、逆に通常の学習で2単位=90時間かけたか?と言われると……その不足分の帳尻合わせみたいなもんですなぁ。それでも、コスパ的には最悪な代物だわね。

 

※冬スクのしおりを読んだ感想

お、史学演習が542教室じゃん。昨年はF310だったのだけど、「いつもは外濠の大きなところでやってるんですが」と仰られていて。今年は55年館とはいえ中教室ですから、それなりに受講者が居るんだろうね。むしろ、昨年の23人ってのが特異だったのだろうな。「人数が多い=コピー代がかかる」ですから、コピーカードを買うことをお忘れなく。23人でも大変だったぞ。

そういえば、55年館で講義を受けることなく終わってしまいそうでんなぁ。構造的には58年館(こちらでは2回)と一緒だからどうだっていい、と言われればまぁそうなのだけど。

卒論を書き上げてから学び直す史学概論(その1)

卒論に関するゴタゴタはともかく、卒論が終わった後に史学概論を少々学び直す必要があるな、とはずっと思いました。

というのも、理論を教えられても、実際やってみないことにはその核心には迫れないのではないんじゃないのだろうか、と。例えるならば、同じ工場見学でも、ガラス越しで上から見下ろすのと、サブライン程度であれ現場に放り込まれるのとでは大違い、という感じですかね。

 

そんな訳で、史学概論の指定市販本である小田中直樹歴史学ってなんだか?』を読み直し。以下は「大きな物語」論(第1章II)を元にグダグダと。

 

かつての「大きな物語」として、社会革命を重視する「マルクス主義歴史学」が挙げられています(pp.43-47)。そして、私の卒論テーマである自由民権運動は、その歴史観の中で研究が盛んな分野でした。

そのような歴史観における民権運動史研究の中心は、「革命政党」たる自由党でした。そのため、同じ民権派である立憲改進党は都市知識人層の支持する「ブルジョワ政党」であるとして軽視されていました。

ところで、私が卒論で取り上げたのは立憲改進党系の雑誌でありました。そのため分厚い研究の積層のある自由党に比べると、改進党研究の層の薄さというのはとても気になったところですし、それを思うと、「私の卒論も立憲改進党研究に貢献できるものだったりする?」という勘違いも生まれます。

 

さて、小田中は「最近の『大きな物語』」の一つとして「『大衆』にかかわる史実の歴史」(p.53)を挙げていますが、私のテーマの根底も実はこれです。「大衆から見た民権運動」というつもりで書き始めたのですけど、行き着いた先は自由党・改進党という各民権派政党に対して染み付いているステレオタイプ批判みたいな感じになってしました。

メインで取り上げた雑誌の論説や風刺画の解釈の多くは、「人民による革命を志した自由党」と「都市知識人層につき、民権派と言いつつ官に近かったブルジョワ政党である立憲改進党」というステレオタイプに則って行われていたが、党員・派閥の思想や、各政党の機関紙の分析を通じて、そうしたステレオタイプに則っていたために、書か(描か)れているものの解釈がおかしなことになっているのではないか、と。そうした従来の研究(これまためちゃくちゃ薄いのだけど)への不満・疑問が、卒論上でうまく表現できたかどうかは自信はないのですけど、一石くらいは投じるような内容にはなったかなぁ、と自負はしています(が、公表はできないだろうからあんまり意味はないか)。

 

今回は、何だか「学び直し」というよりかは「感想戦」みたいな感じになってしまいました。今後も(一応続けるかもしれないので「その1」とした)こんな調子になるかと思います。

 

※余談

テキストですが、2年の時に使ってたのが見当たらなくて、古本を買いました(216円だけどセールで2割引)。

で、この本書き込みというかラインやら丸やらが書かれてたのはいいんですけど、それがほぼ従軍慰安婦論争のところ「のみ」でして。PHPという版元故か、それ系の人が手放したものなんでしょうか。特に有益な引き方でもないので、消してしまいましょうかね。

卒業論文面接試問について(通知)

卒業論文面接試問の集合時間の通知が無事来ました。

 

9日に論文を提出してこれとは、早いなぁ。この早さをリポートでも……とは思いますが、第3次指導の時点で提出予定者としてリストアップしておいて、卒論を提出できなかった人を消す形で最終的に決めてるんだろうね。

 

ところで、時間は……第2次指導と同じ……うわっ怖い!1日も仕事休もうかな……などと考えてしまうなぁ。

成績更新(18/1/11)

日付だけの更新(17/11/30からの変更)。

 

実は卒業論文が受理された人は「卒業論文」という項目が登録されているが、不受理の人は項目追加がなくて、郵便受けを見ると提出したソレが!みたいな展開だったらどうしよう、というくらいに疑心暗鬼なわけでごじゃりまつ。

 

ちなみに面接試問時間の通知は16日までに届く予定だそうです。どんな割り振りになってるのやら。

卒業論文提出(がダメかもしれない)

「窓口で直に出す方が雰囲気あるよねー」という訳で、本日有給休暇を取得して卒論を提出してまいりました。

 

電車の混雑や遅延を避けるために早朝に飯田橋に到着。で、情報カフェテリアが開くまでちょっと気になってたところを修正。決定稿で決定されてなかったオチ。その程度なら良かったんですけどね……。

 

で、オンデマンドプリンターで出力して、穴あけと補強シールを貼って、ファイリングの後に通教窓口へ提出。ここまでは良かった!

 

実は、出力する時にSuicaカードの残高が足りなくなって、写しの分の注が出力できていませんでした。その分を提出後にセブンイレブンにて出力して、また穴あけからのシール貼りをしていたら、何かがおかしい……。

出力済みの原稿と、後から出力したものとを比べると、文字のサイズが違う!後者の方が、初稿の記事で言った通りのサイズになってたのだけど、前者はどうやら100%で出力されていたという。すなわち、文字サイズ指定は10.5か11ptなのですけど、A4からB5への縮小分を見越して13.5ptで作成していたのが、そのまんま。

面接試問で弁明はしますけど、「指定の様式を守っていない」というのは、それだけでハネられても仕方がない大ミス。だから「ダメかもしれない」と。

 

さらに発覚したのは、原稿用紙フォーマットの枠線が途中からおかしくなっていること。これはPDF化の際に何かあったのか、それともプリンター側なのか、あるいはWordファイルの時点でおかしかったのか、まだ確認はしていません(したくない)。

 

そんな訳で、すでに半年間の学費と卒論審査料計5万円をどう調達したものかモードです……。

卒論決定稿完成

決定稿というか、「もうええわ」というか。

学校図書館と、勉強する時に長居するカフェの、両方で閉館・閉店時間を迎えてしまいましたが、後者のタイミングでなんとか完成(ということに)しました。

 

第2稿からの変更点は以下の通り。

 

  • 凡例の大幅な書き換え。
  • 「注」と「参考文献・史料」の書き方の見直し。
  • 補足や言い回しの修正。
  • 誤字の訂正(まだ出るか)。

 

「お前まだそんなことを」と呆れられることを書きますが、「凡例とは」みたいな話って全然見ないような気がする(例示ならあるが)。今日図書館へ行ったのも、凡例を見に行くため(と取り寄せた図書の受取)。けれども、凡例のある研究書って意外と少なかったですね。そんな訳で、「これでいいのかな」と思いつつ書き上げました。うーむ。

 

注の方もなぁ……その辺の不備で再提出となる人がいます、なんて書かれてるとねぇ。

 

というわけで、内容よりも、様式の方で自信のない出来なのでした。それで再提出=学費8万+再審査料1万はいくらなんでも……。

 

※トラップにかかった話

卒論と一緒に提出する書類に「卒業論文提出票」がありまして、それに証明写真を貼付する必要があります。で、グロ画像を撮影した訳ですけど、なんだかサイズが小さくて……履歴書用(4.0×3.0)と同じサイズかと思いきや、何とパスポートなどの4.5×3.5。出願書類や学生証は3.0×3.0で、履歴書用をカットすればいいサイズなのに、何でこれだけはそんなサイズなんだよ……800円が……。(この話、何故か続くかも?)

初心

「みんなTVがお好きなんですね」と思いながらTwitterを眺めていた年始ですけれども、恐らく例の芸人(よく知らないが、嫌でも名前が流れてくる)関連なんでしょう、このようなツイートが流れてきました。

 

 

はい、これですね。

 

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上記のツイートを見て思い出したのは、志望理由書のこと。

 

出願時、史学科は800文字以内の志望理由書が課せられます。私はそれに「独善に陥らないため」と書きました。

歴史というジャンルは、何だか「お手頃」のように思われているのか、様々な人々が手を出して論じ、あるいはそれで商売している人もいます。けれども、そういう人の書いたものの中には、中学生レベルの知識も怪しいものも散見します。けれども、その怪しい知識をベースに論を組み立てて、それでいてそれなりに支持を得て……みたいなサイクルが確立してしまっているケースもあります。

そのような風潮を嫌い、それを「独善」という言葉に込めたのでした。

 

この志望理由書に書いた「独善」という言葉と、大内兵衛が引用した上記の『論語』の一節との偶然の一致に気付くのは、入学後でありました。

何度か書いてたと思いますが、某三田と併願しようとしてまして(結局やめた)、あちらの志望理由書やら「なぜうちなんだ」みたいな項目に、「やっぱり○澤先生の実学の精神がうんたらかんたらと書かなきゃならんのかな?嫌だなー」と思ってたのですけど、そのくせ結果的ではありますが、法政に媚びた志望理由を書いたことになりますwwwいや、媚びたつもりないから!

 

それはともかく、この4年間で「独善に陥らない」ための方法論は得ることはできたのか……。うまくいけば、この春また一介の独学者に戻る訳ですが、その真価が試されるのは、それからなんでしょうね。

 

※追記

「他人の独善ばっか責めとるけど、自分はどうなん?」と思いの方もいそうですけど、当然ながら自分自身に対しても疑いを投げかけた上で、ですよ。

例えば、何度か書いている西洋史概説の話みたいに、ある学説ばかりに気を取られて、スタンダードな歴史的事実の記述を怠った、というのも「独善」の一形態ですし、その反省でシラバスや設題総覧に挙げられている参考文献を特に重視する方針へと転向したのです。

 

もっとも、他人が気付いていて、自分が気付いていない「独善」がいくつもあるかも知れません。なので、この記事(というか志望理由書)はちょっと言い過ぎたかな、と今更思ってしまいました。