通信制苦学記録

大学通信教育課程の史学科でアタフタしてます

成績更新(18/2/15)

ついに来た。

 

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卒業論文:A

 

今までの学習の集大成でこれ。

なんというか、所詮卒業できるだけの単位を取った「だけ」だったんだなぁ、と。

今まで偉そうなこと書いて申し訳ないですね。

 

次回の成績更新で4年次の振り返りを行います。

2018年度スクーリング開講予定

来年度のスクーリング予定が出てますね。

 

史学科専門科目のみをピックアップしますと、

 

  • 日本史概説(後期)・西洋史概説(前期)のメディアスクーリングが新規開講
  • 夏期の史学演習(日本)が1群午前にも開講
  • 日本古文書学が夏期の2群午後に開講
  • 夏期の日本古代史(2群午後)・日本中世史(1群午前)が閉講
  • 東洋史特講(南海史)が春期・秋期の6限に開講

 

史学演習の増加と古文書学の開講が羨ましい。特に演習は今年度やってくれりゃあなぁ、って感じです。古文書学は単修が難関ですから、有難いと思う人も多いでしょう。

演習は中世史が消えたことや、歴史資料学が近世と近代ということから中世を扱うのでしょうか。となると担当は大塚氏かね。

古文書学は公家様文書までかな。先生は誰なんだろう。通信の和気氏か、それともこの時間帯をずっと持たれている佐伯氏か、あるいは別の人か。

 

それにしても、意外なのは南海史。今年度までは通信のみの科目で、南海(中国南部からベトナムあたり)史の講義というより、それをネタにした論文作成のためのトレーニングという趣きのある科目であるのですけど、スクーリングはどんな内容になるのだろうか。

 

全体を通した感想ですけど、うちの通教史学科のいいところは、スクーリングにおいて歴史学の根本である史料を読ませるものが多い点だと思うのですが、来年度はそれがさらに充実した感があります。そして、それを見て消える予定の当方などは「ギギギ……」となる訳ですよ。
まぁ、通教におきましては、卒業生に「入学したタイミングが悪かったなぁ」と思わせるような、魅力的なカリキュラムを組んで行ってくださいませ。

リポートが書けない人へのオススメ本

うわっ!偉そう!でも、書く資格一応あるよね?

 

と言うわけで、大学通信教育についてリサーチ中な方や、学校問わず出願済みの方、そしてすでに入学しているがリポートが書けないと言う方へ、オススメの一冊を挙げてみます。

 

論文の書き方 - 岩波書店

 

「えー」と思われる方の方が多いと思います。この手の定番書である、河野哲也『レポート・論文の書き方入門』(慶應義塾大学出版会)や戸田山和久『論文の教室』(NHKブックス)みたいな具体的な技術を解説するようなものはないので。

 

では、何で今更清水幾太郎本なのか。それは、「なぜ書けないのか」の理由は技術的問題ではない、と考えるから。しかして、その理由とは。それは「精神的なものである」と、「書くという精神の姿勢」という節(pp.5-11)を読んで気付かされたからあります。

 

現代において精神主義は忌み嫌われるものですので、上記の理由は鼻でお笑いでしょう。けれども、ブログに長々と文章を書けるにもかかわらず、リポートとなると「書けない」となってしまう。その差は何か、となると技術よりもやはり精神となってしまうのではないだろうか。

清水はこう書いている。

 

読む働きと書く働きとの間には、必要とするエネルギーの大小というだけでなく、もっと質的な相違があると言わねばならない。そこには、精神の姿勢の相違がある。即ち、読むという働きがまだ受動的であるのに反して、書くという働きは完全に能動的である。(中略)私たちは、多量の精神的エネルギーを放出しなければ、また、精神の戦闘的な姿勢がなければ、小さな文章でもかくことは出来ないのである。(p.6)

 

つまり、「読む」ことと「書く」こととは相反することである。

ところで、先に述べたブログをはじめとして、現代書かれているテキスト量は膨大であり、「書く」ということは、清水がこの本を著した時代とは異なり、別にインテリの特権でも何でもない、単なる日常的な行為となっている。だが、その「書く」ことは「読む」ことを必ずしも伴っていない。そのため、昨今は「書く」ことと「読む」こととが大きく乖離してしまっているのではないのか、と思うのである。そのことは、インターネット上における文脈を無視したコメントの氾濫(あるニュース記事や論説などをいくつかのフレーズだけ見て掲示板やSNSなどで的外れなコメントをするだとか、Twitterのいわゆる「糞リプ」など)がいい例であろう。これらは、「書く」ことと「読む」ことという相反する精神的姿勢からくる精神的格闘を避け、脊髄反射という安易に流れている、と言えよう。となると、現代人はテキスト量とは相反して本当に「書いて」いるのだろうか……。

 

清水は続けてこう書いている。

 

私たちの場合は、書くという働きを行った後に、漸く読むという働きが完了することが多いようである。(同)

 

「リポートが書けない=テキストを読めていない・理解していない」では実はなく、「書く」ことは「読む」途上なのである。だからこそ、リポートを書けない人にこうアドバイスをしたい。「とりあえず手を動かせ」と。「読む」というパッシブな行いと、「書く」というアクティブな行いとの格闘を恐れずにやってみるべきだ。その結果の産物であるリポートが不合格であっても何も悪いことはない。担当される先生方はそれを読んで添削するのが仕事なのだから。むしろ、「何がわかっていないのか」を理解するためにとにかくリポートを書いてみるべきなのである。

 

けれども、闇雲に書くのも抵抗があるだろう。なので、まずこの清水本をさらっと読んでみて心構えをすることをまずオススメしたい。その上で配布される『自立学習の手引き』や河野本・戸田山本、木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書)・『レポートの組み立て方』(ちくま学芸文庫)などのリポート・論文作成技術書をいずれか、さらに余裕があって著者に抵抗がなければ本多勝一『日本語の作文技術』(朝日文庫)も一読されてみてはいかがだろうか。もっとも、そうした読書経験を生かすも殺すも、最終的には自分次第ですが。

以上、それを殺している奴が偉そうに書きました。支離滅裂な文章になってしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。

 

※余談

清水幾太郎を、歴史学(知識としての歴史ではなく)を齧った人でその名を知らない人はまともに勉強してないと思っていいでしょう(その理由を察することができない人もマズイですよ)。けれども、世間的には、昭和10年代から50年代まで様々なメディアで評論を行っていた売れっ子であったにもかかわらず、完全に忘れ去られた人物であります(西田幾多郎と混同されるのを割と見かける、もちろん清水のはずが西田にされてるという形で)。

 

そんな清水の評伝である竹内洋『メディアと知識人』が、『清水幾太郎の覇権と忘却-メディアと知識人』というタイトルとなって文庫化されます。

 

清水幾太郎の覇権と忘却|文庫|中央公論新社

 

ところで、それと同時に『君主論』が改版されます。

 

君主論|文庫|中央公論新社

 

どうやら佐藤優による解説という余計なものがつくようですね。

清水というメディア型評論家の走りと、現代のメディア型評論家の典型による解説が載った本が同時に出るというのが少し興味深いですね。

卒論を書き上げてから学び直す史学概論(その2)

遅塚忠躬『史学概論』を眺めています。

この本、通信学習の史学概論の参考文献の一つとして挙げられていますが、値段であったり、あるいは市ヶ谷図書館では大体貸出中で、中々読めない代物です(使わなくてもリポート合格できますが)。

 

今回「神奈川県立図書館の本を川崎市立図書館で取り寄せて借りる実験台」として使わせていただきました。……うむ、さすが6800円+税だ、分厚い。期限までに読み終えられない。買うしかないか。

 

内容は面白いのですけど、ふと思ったのが、史学概論というか「歴史学」という科目とは何か、というメタメタなこと。

 

史学概論という科目は、言ってみれば「歴史学とは何か」というものですけど、それを学ぶのは史学科の人くらいなものでしょう。けれども、「歴史」自体は史学科だけのものではありませんし(法学部の政治史や経済学部の経済史、理学部の科学史、その他諸々)、そもそも歴史学上の成果を残した人が、必ずしも歴史学についての高等教育を受けている訳でもなかったりします(地方史とか)。もちろんそれら「史学科外の歴史学」においても当然「史料とは」や「史料批判」などと言った技能教育はなされてはいますけれども、そういう技能教育さえされていれば、別にマルク・ブロックやらリュシアン・フェーブルなどと言った名前を知らなくても歴史叙述はできるのではないか。ニュートン力学を知らない物理学者はいないが、講座派やらアナール派を知らずに歴史叙述をしている人はいる(もっとも、大学院を経由した文系の非歴史学系歴史叙述者なら心得ているケースが大半でしょうが)。となれば、わざわざ学んでいるこれは一体何なのか……。

 

このモヤモヤにどう対処するかも「歴史学」の一つ、というジョークみたいな現実なんでしょうかねぇ。

 

※神奈川県と川崎市のアレさ

 

県立図書館所蔵本の、市立図書館での貸出について、

 

  • 1週間くらいかかる(今回は請求日の翌週が市立図書館の蔵書点検期間だったので2週間かかりました)
  • 専用ビニールカバーをかけて利用しろとのこと
  • 貸出延長は無理 

 

という感じで、大変不便。

県立川崎図書館があったころは本当に良かったなぁ、と思ったところでこんなニュースが。

 

施設跡地に市民スペース 川崎区役所移転見直し|カナロコ|神奈川新聞ニュース

 

当初の計画では、庁舎の狭い区役所を両施設の敷地に移し、市民館機能との複合化も図るとしていたが、市税部門が移転したことで一定の課題が解消。区役所移転の緊急性が低下したため、計画を見直す。

 

最初から追い出す、あわよくば廃止するために立てた計画だったのでしょうね。そもそも県立図書館自体廃止という話でしたから。

成績更新(18/2/1)

一昨日の結果は流石に出てまへん(日付の変更のみ)。

 

12月の単修の結果が出たらしいですけど、他の方のブログでそれを見てCampusmateを見に行った次第。かつては毎日アホほどログインしてたのにね。

 

※これからの学生に妬いちゃう

メディア・スクーリングに、ついに史学科の科目が!

前期は西洋史概説、そして後期は日本史概説。もうひとつの選択必修である東洋史概説もいずれは開講するんでしょうね。

いやー、どんどん環境が良くなってきてますね。羨ましい限りです。

卒業論文面接試問

すでに記事にしてますが、卒業論文面接試問を受けてまいりました。今回はその詳細。

 

通知に控室(富士見坂校舎1Fの教授室内オフィスアワールーム)に集合する時間が書かれてましたけど、その時間から自分の順番が何となくわかります。で、今回は(も)14時より後なので、「複数人いてかつ最後だろうなー」と思ってたらビンゴ。控室に貼られていた順番を見ると、どうやら「学籍番号の小さい順」のようです(これは第二次指導も同じっぽい)。

 

控室には面接試問についての説明書きが置いてあり、また学校の事務員から開始見込み時間が言い渡され、受講記録カードが手渡されます。これの出番は面接試問が終わってからです。

 

この日(1/31)の面接試問は、日文科の教員2名に対し学生が2人ずつ、史学科は教員1名に対して学生3人にそれぞれ実施。で、開始見込み時間になったら「教室に行ってくれ」と事務員から言われる形。なので、控室には40分くらい1人でいました。

 

3時頃に事務員から「教室へ行って下さい」と言われて行ったはいいけれども、前の人の面接はまだまだ終わらない様子。で、それから20分くらい廊下で待たされる羽目に。その上、椅子がないもんだからずっと立ちっぱなし。元々高校の校舎であることも相まって、「いい歳して学校の廊下に立たされるとは」などと思ってしまいました。

第二次指導の時は、指導が終わったら教授室に戻って次の人を呼ぶ、という形でしたし、先生もその認識だったようで、前の方の面接が終わった時に私を呼んできて欲しいという旨を伝えてました。

何か事情があるのでしょうが、今回みたいな見込み時間が来たら追い出す方式は、待たされる身からすれば最悪でした(この件、今度のアンケートの自由回答欄に書いときます)。

 

さて、面接試問。

私の担当教員の場合以下のように進みました。

 

  • 卒論を書き上げた感想
  • (恐らく)修得単位数の確認
  • 動機
  • 成果は何か
  • 質問と指摘
  • 今後の方針

 

単位数の確認の時に、私の場合すでに満たしていたので「これが終われば卒業ですか?」と聞かれました。何かが起こらなければ、と答えて笑いを取りつつ、卒論は合格であることを告げられました。いやいやよかったよかった。

続いて卒論の成果については、自分の考えと先生の見解とが一致しました。ちゃんと読んでもらえているんだなぁ。まぁ、その後の質問だとか指摘で、いかに自分が不勉強かを実感させられましたがね。

 

質問が一通り終わった後に「今後も研究は続けるの?」と問われましたが、明確な答えは出せず。進学は無理だし、野良でやるしかないのかな……などと。多分これが一番しどろもどろになった質問でした。

そして、改めて卒論の成果について「大きな発見だ」と言われました。まだまだ色んな意味で甘い論文ですが、今回の成果をさらに煮詰めて行けば……という意味でしょうか。研究を続ける、とハッキリと言えればよかったのですけどねぇ。未練タラタラですが、かと言って……。

で、もし研究を続けるのならば、とテーマを頂きまして、さらに私の考えているテーマも告げてみました。

 

最後に論文が返却されました。この時に図版の話になって、その際に提出時にここで散々騒いだ枠線問題について聞いてみました。結局「あった方が読みやすい(これは第二次指導の時にも言われた)」程度で、必須ではなかったと……となると、いつも通りLaTeXで良かったんだなぁ(もっとも、こっちはこっちで図版の配置で苦労してそうだが)。

 

ちなみに、面接試問の時間は27分。1時間越えだとか、4時間経ってたと以前受けられていた方がそう書かれていたりしてましたので、長丁場になるのかなと思っていましたが、結局そうでもなかったという(先生によってまちまちでしょうが)。

 

面接試問が終わったら、教授室へ戻り、事務員に受講記録カードを提出しておしまいです。

 

面接試問後の感情ですが、私の場合は「解放感」だとか「達成感」などではなく、「消失喪失感(なーんでこんな間違いをするのか。真性の馬鹿だろ)」に支配されました(今も尾を引いている)。

他人からろくに褒められることのない人生でしたが、学校という自助努力がダイレクトに評価される空間においてそこそこ上手くやれていたことが精神的な支えとなっていました。けれども、卒業してしまうと、それが無くなって、単なる「キモくて金のないおっさん」になってしまう訳ですから。なので、帰りの電車内では、ずっと「卒業したくねぇなぁ」やら「これからどうすればいいのだろう」などと思ってしまいました。

 

最寄駅(と言っても、ここからさらにバスと自転車で30分くらいかかるのだけど)について、ちょっと一服。その時に返された論文を眺めました。

論文には重要だと思われたところに線が引いてあったり、疑問が呈されていたり、そして誤字(まだ出るのかよ……)や語句の訂正などが施されていました。いずれはこれに従ってにリライトしようかと思います。

 

最後に面接試問の心構えを。

「そう緊張せんでもええんやで」

以上!

卒業論文面接試問終了

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夏・冬スクーリングのたびに一度は行ってたボアソ25階のスタッフ・クラブが、業者入れ替えのため今日をもってしばらく休業。「お、一緒に卒業か」という感じてハンバーグを食べましたとさ。

 

あと、生協の組合員なのですけど、在学中に購買の営業日に来校できるのが今日で最後。なので、新書を5冊を10%引きで買いました。脱退手続きはいつしましょうか。

 

で、表題の件。

面接試問の詳細は後日に回しますが、速報としては合格と言われました。なので、教授会で物言いでもつかない限り卒業です。

 

さて成績はいつ出ますかねぇ。まず毎年冬期スクーリング2群終了の翌週火曜日に成績更新があって、それから週一更新だった記憶だから、2月中には出るでしょう。